土曜日, 3月 27, 2010

ゆとりを奪う管理教育

 1990年朝日新聞「教室から」
というコラム記事を連載したものを2010年になった今、もう一度連載してみます。学校の状況は良くなったでしょうか。考えてみたいと思います。
 先日、ある母親から手紙をもらった。「先生に話したいことがあるとうちの子が言います。5分間だけ時間をとっていただけないでしょうか。先生が忙しそうで話しかけられないというのです。」
 管理教育あるいは管理主義教育という言葉がある。子どもに考えるゆとりを与えない教育と言い換えることができると思う。教師は自分が忙しいと、じっくりと子どもの声を聞こうとせずに怒ったり、効率を求めて管理したがったりする傾向にある。
 給食の時間は子供たちとゆっく話せる大切な場だ。しかし、実際は15分で準備し、20分で食べ、10分で後片付けをしなくてはならず、大変な忙しさ。給食室の都合もあるので遅れは許されない。時間内に終わらせるため、教師はおしゃべりを禁じて黙々と食べるよう要求したりする。
「子どもが一人もいないのではと感じるほど静かな学校に」と唱え、黙道という考え方を掲げる人たちもいる。そんな学校では、廊下を歩くときも、子どもたちは一言もしゃべってはいけない。
 現代の教師は忙しい。ノートの点検、授業や会議の準備、採点、印刷、そして研修。ゆとりを奪われたとき、教師は子供たちからもゆとりを奪ってしまう。